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2006年7月29日 (土)

食(じき)を受く

 調査の依頼が立て混んでいます。平均すると週に3カ所は調査に赴いてるような状態です。調査したら、私の場合は写真付き報告書を提出しますので、一生懸命書類を作る。一般家庭向けの場合、専門用語は一切使わないのでかえって難しかったりします。
 事務仕事の場合ほとんど書類作りに忙殺されるので、昼食も最短で済ませなくちゃいけなくなる。
 西新宿小滝橋通りは、それこそ食い物屋だらけなので場所には事欠きませんが、短時間となると選択の範囲はぐっと絞られてしまいます。やはりドンブリいっこで済ませられるお店が便利。
 最近『松屋』の豚丼に豚汁を付けるのが多いです。150円で結構いろいろ具が入っているので、繊維質やミネラル源としてそう悪いモノではないと気がつきました。豚丼は『ツユ抜き』にして、その代わりにトウガラシをまぶすほど振りかけます。
 で、いつもすんごい勢いで平らげてパソコンの前に戻るのですが。店によっては島カウンターで向かいにいるお客さんの様子が見えてしまうこともあります。

 先日見た光景。割とさわやか系大学生の2人、見事な握り箸でこれまた見事な犬喰い。ドンブリの縁から飯粒吸い込む音がこっちまで聞こえてくる。先割れスプーン給食の見事な成果なのでしょうか。
 そんな食事姿じゃ女性に白い目で見られるし、就職してから周囲に冷たくされるぞ。どうでもいいけど……。
 『犬喰い』って言葉自体もいかがなモノかと言う異論もあるようですが、犬の人は別に気にもしないから構わないでしょう。
 それより、『食事の際に全ての皿をいちいち手に持つ作法の方がおかしい』と誰か言い出さないのでしょうかね? お隣の国ですと、皿を持つと『日本人のような食べ方をする』と非常にヒンシュクを買ってしまうそうです。まあ、歴史的なゴタゴタはこの際脇へ置いて……。

 実は、日本の食事作法は他国と比べてかなり異質です。

 まず、日本の食事だけ床に座した状態で行われていました。まあ、ブッシュマンの食事とかモンゴルのパオの中での食事もそうなんでしょうけど、しかし食事の器材やシステムが整った中で床に座して食事を行う風習はあまり例を見ない。
 お膳だって低いから、食器を持ち上げないで食べようと思ったら這いつくばらないといけません。これではわざわざお膳を出す意味ありませんな。どうしたって食器を手で持たないと食べられません。で、テーブルで食事をするようになっても食器を持つ習慣だけは残ってしまったと……。
 もうひとつ。食器を手で持つのは『禅』の修行から来ています。曹洞宗や臨済宗の寺で行われる食事、修行僧は全ての食器を目の高さにまで上げて食事をします。これは『食を頂くことによって修行を行うことができる。このように有り難い食に感謝と尊敬を捧げる』という意味なんですね。ちなみに、お粥の時には柄の長い匙を使いますが、ちゃんと椀を捧げ持って食べます。
 そう言えば、禅の食事は全く音を立てないで行うのですが、必ず出る“たくあん”をどうやって音を出さずに食べるのか非常に知りたかったりする。
 禅が伝わってきたのは平安時代で、鎌倉時代から武士から庶民にまで広まりました。そうなれば自然と日常生活の中にも禅の作法が染みついて、宗教がらみなものだから、そう簡単には廃れることがなかったと……。
 『いただきます』『ごちそうさま』この言葉こそ、日本人に染み込んで、恐らく抜けることのない禅から来た食事の作法です。クリスチャンの食事前の祈りは食事を与えてくれた神様に感謝するのですが、『いただきます』は食事そのものに感謝しているのですね。

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