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2007年2月 2日 (金)

恵方巻きの歴史?花街叙情編

 え?。昨日、アクセスカウンターが200くらい行ったところでリセットかかってしまったのですが。何だったのでしょ?
 リニューアルについて回るエラーがまだまだ出ているようです。だからOS書き換えるなんてムニャムニャ……。
 
 『雪風’sきまぐれblog』ってところで面白い記事を見つけまして。何でも上方落語の中で、舞妓さんに長いままののり巻きを食べさせる下りがあるそうです。“遊山船”というお話しですが、ちょっと引用してみましょう。

「昔は夏の遊びといえば、東京は両国の川びらき、京都は鴨川の夕涼み、そして大阪は大川の涼みが代表的だったようです。
 ウマの合いました二人づれが難波橋の上へ夕涼みにやってまいりますと、花火が上がり、夜店の売り声であたりはまことににぎやかです。橋の下では屋形舟に乗った大尽が芸者をあげ、卵の巻き焼き、鰻の蒲焼きなどを食べ、舞妓には長いままの巻き寿司を「尺八食い」させて楽しんでおります……」


 この『尺八食い』ってのがソレですな。舞妓に行儀の悪いことをさせて、恥じらいながら悪戦苦闘する様を見て楽しむ趣向なのでしょうな。
 時代がはっきりしておりませんが、江戸末期ってところでしょうか。庶民のリアルな生活をネタにするのが落語ですから、大阪で“のり巻き”が普及していたことは間違いないようですね。しかしこれが直ちに『恵方巻き』に結びつくかと言うと、ちょっと心許ない。お大尽遊びが商売繁盛の祈願ごとになる理由がイマイチ見えません。このネタはちょいと脇へ置いて、時代を先に進んでみましょう。

 時代は下って大正時代。どこで拾ったのか忘れましたが、こんな一文が……。
「ところで近年流行の「恵方巻」は、大正初期の大阪花柳界で節分の時期にお新香をまいた海苔巻きを恵方に向かって食べる風習が、昭和40年代後半の大阪で一般化したものだそうです」(小澤富夫(元玉川学園女子短期大学教授):江戸学事始、江戸学担当講師)
 ほお。この『昭和40年代後半の大阪で一般化したもの』ってのが、私が北海道で見た『のり巻き丸かぶり』のポスターと同じ頃です。これは興味深い。
で、もちょっと調べるとこんな文を見つけた。

大正の初め、大阪花街でお新香の漬けかかる節分の時期にお新香を巻いた海苔巻を恵方に向かって食べるという風習がありました。(「恵方と寿司屋」より)
 そう言えば、海苔ってのも冬に採る海草だったよな……。これも調べて……。

 海苔は11月頃から摘み取りが始まり、3月中旬(ごく一部の産地では4月中旬)まで続きます。11月頃、各産地で一番最初に摘み採られた海苔は「新海苔」と呼ばれ、やわらかく、香り高い風味が特徴です。海苔の基礎口座)
 ふんふん、なるほど。何となく見えてきたぞ……。節分の頃、漬かったばかりのお新香を新のりで巻いて食べるってのが、大阪花街のお楽しみだったってコトでしょうか。江戸時代から続いていたのか、それとも大正に入ってからのことなのか調べ切れませんが、ちょいと想像を働かせてみましょうか。では池波正太郎風で……。


 おたまの腹が、小さな音を立てた。
 夕方も近いという時間なのに、座敷が続いて満足にお昼をする時間もなかったのだ。客は人好きのする旦那ではあるが、おたまの腹の具合までは判ろうはずもない。
 旦那が厠に立ったところで、おたまはこの時とばかりに台所に走り、居合わせた小僧に頼んでのり巻きを作らせた。と言っても、簀の子で巻くような手間などかけられるはずもない。旦那が厠から出てきたら、手水を差し出さねばならないのだ。
「それそれ、新香だけでいいから。早う早う」
 おたまの焦りが小僧の手元をあぶなっかしくさせる。
「ああもう、お貸し」
 しゃもじを引ったくるようにして素早く「のり」で飯と新香を包み、ひと口囓り取りながら、かなり慌てて廊下を小走りに戻った。
 厠の扉が見えたところで、それが開くのが目に入った。おたまは慌てて口の中のものを飲み下し。残りを袂に隠した。
 何事もなかったかのように、旦那の手を柄杓の水で清め、手ぬぐいを差し出した。そのとき、どうした加減か、袂から食べかけののり巻きが「ぼとり」と板の上に落ちてしまった。
 旦那は怪訝そうにそれを見下ろし、次いでおたまを見やった。おたま、もはや顔が真っ赤に染まっている。
「これは……」
「これは……。これは、願掛けでおます」
 とっさに思いつきが口を滑って出た。
「節分に……。あの、長いまんまののり巻きを。願掛けて食べますと、願いが叶う言われとります」
「ほお?。そらまたけったいな願掛けやのぉ」
「願掛け言うても、花街の中だけですさかい、誰も知らはりません」
「おたまは、何願かけたんや?」
「そらもちろん。段さんが、この先ずっと来てくれますように」
「ほうそうか?、ほな私もあやからせてもらおうか。私にもひとつ作っておくれ」
「はいはい。ほなお部屋に戻りましょ」
 
 後日、この『長いのり巻き』が旦那衆の中に口づてで広まって行き。ついには大阪商人の願掛け行事となってしまうのだが、それはおたまのあずかり知らぬことである。(※大阪弁はデタラメです)

 それで……。

「おお。新香に、新海苔かいな……。こら悪くないわ」
 旦那と差し向かいで食べようとしたものの、照れ隠しの出まかせをすっかり信用して長いままの「のり巻き」をくわえている旦那の姿がどうにも可笑しくてたまらない。
「あの……、旦那……」
 笑いをこらえておたまが言った。
「それは、あっちの方を向いて食べなあきまへん」
「何でや?」
 笑ってしまいそうなので、何とか背を向けさせたいところなのだ。
「願かけるには、あっちが『ええ方』ですさかいに……」
「なるほど。こっちが『ええ方』か……」
 
 後日、この『長いのり巻き』が旦那衆の間で『ええ方巻き』と呼ばれ、ついには『恵方巻き』と呼ばれるに至ることは、おたまのあずかり知らぬことである。(※大阪弁はデタラメであることをお断りいたします)

 列年の『ええ方』についてはこちらに詳しい(中年オヤジの雑記帳)。あげくの果てには『合格祈願巻き』(iza)ですか……。ダルマみたいに効能別恵方巻きが出てきそう……。『恵方バウムクーヘン』(excite)とか……。

明日は『恵方巻きの歴史?疾風怒濤編』をお送りいたします。(まだ書くことあるのか?)

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コメント

私は北海道の人間なので、「恵方巻き」は、耳に新しい言葉でした。流行りだしたのも近年だと思ってましたが、さすがに歴史が有るモノ、なんですねー・・・。勉強になりました。ありがとう御座います。

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