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2010年7月17日 (土)

うろつき童子

 調査2日目の京都は大雨でした。

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 昨日、伏見稲荷で発行している書籍について聞くのを忘れてしまったので、もう一度詣でます。

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 やはり手桶じゃ足りなかったようで、樽が登場しています。しかしこれを見ると柄杓でゴクゴク呑みたくなってしまうのは何故でしょうか?

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 昨日のお導きは、神様の方から何か伝えることがあるのかと思って何も念じないで引きました。今日は「今やっていることはOKであるか否かお知らせください」と念じて引いて見ました。

「良い兆しが見えるよ」とのことでした。ありがとうございます。

 肝心の書籍の方は『関係者以外お断り』とのことでした。日を改めて古本屋で探すしかない。

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 そしてここからが最も困難な調査。何を探したら良いのか判らないものを探さなくちゃいけない。しかも既に喪なわれている確立98%。はい、早速外れです。学校になっちゃってます。

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 いまいる場所は、千年前の地図でたぶんこの辺ではないかと考えられます。左側が何度も出てくる平清盛さん家。下に東寺も見えていますね。清盛さん家を南北に両断するように、今はJRの線路が通っております。

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 線路をくぐって南側に行って見ます。旧の町名板が残っていました。『南区梅小路大宮東入ル古御旅町』間違いなくここは千年前に伏見稲荷社御旅所があったところです。

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 小さな住宅がみっしり、そしてあっちもこっちも行き止まりに見えて通れたり、その逆だったり。住人でない人間がウロウロしていたら不審者ですが、それを見越してネクタイを締めて地図を持って、何かの用事で家を探している風を装っています。

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 う〜ん。ここ……、だったのかなぁ……。誰もいないから訊きようもない。ホントに人がいない場所ばっかり歩いています。

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 古御旅町には既に探すべきものは残存していないと見切りをつけまして、次は七条油小路に向かいます。実はここにも文献には「御旅所があった」ことになっています。

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 七条油小路と言えば「油小路の変」の舞台として新撰組ファンの間では有名です。ここが伊東さんが倒れた本光寺。

 実は位置的に考えて、ここが『七条油小路の御旅所』だったのではないかと推理しております。しかし……、考えていた以上に小さいな。隣の民家と比べてみてください。

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 数年前に住職さんが亡くなって、今はこちら無住寺となっています。でも、中を拝見することができました。そして、かつてはこの区画ほとんどが本光寺だったことが判りました。

 やはり。ここが御旅所だった可能性が非常に高い。そして、私が考えた説が成立する。

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コメント

余り稲荷神さまに深く関わらない方が良いと言われますよ〜。(^。^;)


特に伏見稲荷さんは、信仰するならしっかりとお参りやお祭りをするか、信仰しないなら中途半端にサワらないのが良いと昔から言われてた記憶が……祟り神の性格も有った様で。

確か、伏見さんは荒御魂だった様な……。

通りがかりの人様
度々どうもです♪
現世利益の稲荷さんですからそりゃ皆さんこぞって
「商売繁盛金運上昇」を願って拝むでしょうけど。
私はご利益を求めずひたすら畏れ敬っております。
(これもこれで危なっかしいですが…)
祟り神と言えば八坂神社はもっと怖い疫病神を奉って
いますから、間違えた際の祟りも怖いです。

そう言う心がけの方なら、問題ないんじゃないんでしょうか(^o^)/トシシタガ、エラソウデスンマセン……

私のスタンスは、感謝と再び詣でる事出来ますようにと祈りつつ、時に御神徳に沿ってチョッピリお願い。です。(苦笑)

諏訪大社の下社のミシャグジさまでも、そのスタンスでした。(爆)

ちなみに前も書きましたが、姫路出身なんで、祇園社感神院(八坂神社の元名)は、それなりに知ってますヨン。

播磨国風土記では、明石の浜に上陸した牛頭天王が最初に鎮座したのが、書写山(弁慶の在籍寺&ラストサムライの撮影地:円教寺)で、後、すぐ近くの広峰山(広峰神社)に移られ、さらに八坂さんに勧請された歴史がありますから。(これは、八坂さんも認めてる)

そんな経緯もあり、八坂さんは疫病封じに呼ばれた仏教系なので、余り祟り神とは個人的に感じません……広峰神社の雰囲気にも。

それよりも、姫路の総社の祭られて居る神様二座の射楯神と兵主神(特にこちらの方)の方が、どちらかと言えばヒビリますね〜。

播磨中心に七社ほど兵主神をお祭りする神社がありますが、一説には、古代中国の四凶と呼ばれるシュウウですから……。f^_^;

ちなみに、広峰山の麓にある白国神社が産土神社ですが、白国の名前の由来自体が、朝鮮半島のシラギからの渡来人が多数すんでいたらだそうで、大陸からの到着地の様でもあったみたいです。

通りがかりの人(再)様
たびたびどうもです〜♪
う〜ん。実に面白いお話をありがとうございます。
討伐やら渡来人やら、新羅との係わりはホント異たる所
に出てきますね。
射楯兵主神社は是非参詣したいところです。
諏訪大社は上社前宮が特に気になります。でも諏訪と
出雲は怖い上に遠いので、若干腰が引けています。
山陽地方は倉敷を除いてほとんど未踏の場所なので、
非常に気になっています。(美作の狐とか…)
また情報コメントをよろしくお願いいたします。

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