鴨川激流下り
京では祇園祭り真っ最中です(GiGAZINE)。私がうろついていた頃には『山建て』『町家お飾り』とかが行なわれていたようですが、七条から北には行かなかったので、気配も感じられませんでした。
その昔は稲荷祭にも山鉾の巡行が行なわれたことがあったそうです。
そう言えば。
稲荷祭の神輿はペリカン便のトラックに乗せられて御旅所へ往って還ってきますが、来年のトラックはどうなるのだろう。神様の引越しだから全然関係なく日通がやるのかな?
また京都に来てこんなもの食べてます。新福菜館のやきめしと中華そば。昨日の第一旭の隣。ラーメンは見た目ほど塩辛くない、やきめしは見た目どおりに濃い味です。ちなみに朝はソーセージエッグマフィン。
電車の窓から鴨川が大変なことになっているのが見えたので、塩小路橋まで見に行ってみた。これでこの遊歩道を降りて見に行ったら立派な死亡フラグですが、さすがにそんな無謀は冒さない。
何か獲れますか?
何にもないとは思うけど、「小稲荷町」を調べに行きます。この際だから気になったものは全部見ておきます。この辺際開発が行なわれています。しかし祠はしっかり残る。
町中で見かけたお寺。梵鐘の隣はお寺のビルだから良いとして。
向かいに建つ市営住宅は目覚ましが要らないな。
古い町家が次第に消えて、どこにでもあるマンションやアパートに変わって行きます。
さて。『稲荷御旅所』は、一時は5座ある神輿のそれぞれに御旅所が設けられていた時代もあったそうです。現在の御旅所には稲荷祭の時だけに神主が来ますが、昔は神主が常駐して、稲荷社の洛中出張所のような状態であったらしい。
で、歴史を探ると御旅所の神主交代に抗議して焼身自殺しちゃったり、地域の実力者の横槍で神主がころころ交代させられたり、御旅所をめぐっての利権争いが存在していたことが見えます。
で、応仁の乱で伏見稲荷本体も焼けちゃった後、秀吉の京都復興整備でもって現在の御旅所を定めたことになっています。ちなみに本殿再建には30年かかっています。
さて。知りたかったことはほぼ知る事ができたぞ。みちみち書くか…。
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