ヲタな話

2012年2月 1日 (水)

恵方巻きの歴史を勝手に推理してみた

 2月でございます。

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 なので我が家の季節モノディスプレイはこうなっております。電飾はなし。もうちょっと何とかしたいところですが、如何せん節分期間は短い。

 でも短くないのが『恵方巻き』でして。何か年末から予約受付のポスターを見た記憶があります。

(※以下平成7年2月1日記事の再録です)

 

 

 『もともとは関西の慣習で、10年前なら関東で知っている人はほとんどいなかった(iza)』とよく言われていますが、私は30年以上も前に函館か室蘭のスーパーで『恵方を向いてのり巻き丸かぶり』ってポスター見ています。ちなみに、江別の実家ではやりませんでした。

 “Wikipedia”によりますと、『豊臣秀吉の家臣・堀尾吉晴が、偶々節分の前日に巻き寿司のような物を食べて出陣し、戦いに大勝利を収めたという故事を元にしているという説もある』なんて記述もあります。

 しかしこれは、かな~り怪しい。板海苔が発明されたのは江戸中期だって基本的なこともさることながら。あのご時世の武士ってのはメチャクチャ質素な生活を送っていたはず。「今朝は蓼の塩漬けで飯を食ったが美味かった」と言ったら「蓼は贅沢だ」ってたしなめられたくらいですから。武士たるもの、汁と飯で充分であるってコトですな。

 出陣にあたっての祝いの膳だって、“打ち鮑・勝栗・昆布”たったこれだけ。『打ち勝ってよろこぶ』って縁起担ぎだそうです。で、戦勝祝いの膳も乗ってるモノは同じだそうだ。ただし順番が変わって“勝栗・打ち鮑・昆布”今度は『勝って打ちよろこぶ』となるんだそうな。

 

 そんなこんなで……、どうも戦国時代起源ってのは考えにくいです。

 

 

 お次は……。『江戸時代末期から明治時代初期にかけて、大阪・船場の商人による商売繁盛の祈願事として始まったといわれる』ですか。恵方巻きの記事を書く人のほとんどが、この説を採り上げていらっしゃいます。

 時代は確かにのり巻き発明の頃と合ってますな。しかしこれ、果たして大阪商人が見たこともない江戸の食べ物に飛びつくかどうか甚だ疑問です。何せ、寿司なら大阪の押し寿司の方がはるかに歴史が長い。しかも長いままのものを手に持って囓って食べるなんて、そんな江戸式の乱暴な真似をしたがるかどうか。非常に根拠として弱いですねぇ……。

 しかし『食べている間にしゃべってはいけない』そうですが、太巻きを丸々一本食べる間無言ってのはなかなか苦しいと思います。その逆に『ニコニコ笑顔を浮かべる』ってのはもっと苦痛だぞ。第一それじゃ、のり巻きリバースしちまうだろ

 

 

それで……。何でも上方落語の中で、舞妓さんに長いままののり巻きを食べさせる下りがあるそうです。“遊山船”というお話しですが、ちょっと引用してみましょう。

「昔は夏の遊びといえば、東京は両国の川びらき、京都は鴨川の夕涼み、そして大阪は大川の涼みが代表的だったようです。

 ウマの合いました二人づれが難波橋の上へ夕涼みにやってまいりますと、花火が上がり、夜店の売り声であたりはまことににぎやかです。橋の下では屋形舟に乗った大尽が芸者をあげ、卵の巻き焼き、鰻の蒲焼きなどを食べ、舞妓には長いままの巻き寿司を「尺八食い」させて楽しんでおります……」

 この『尺八食い』ってのがソレですな。舞妓に行儀の悪いことをさせて、恥じらいながら悪戦苦闘する様を見て楽しむ趣向なのでしょうな。

 時代がはっきりしておりませんが、江戸末期ってところでしょうか。庶民のリアルな生活をネタにするのが落語ですから、大阪で“のり巻き”が普及していたことは間違いないようですね。しかしこれが直ちに『恵方巻き』に結びつくかと言うと、ちょっと心許ない。お大尽遊びが商売繁盛の祈願ごとになる理由がイマイチ見えません。このネタはちょいと脇へ置いて、時代を先に進んでみましょう。

 

 

 時代は下って大正時代。どこで拾ったのか忘れましたが、こんな一文が……。

 

「ところで近年流行の「恵方巻」は、大正初期の大阪花柳界で節分の時期にお新香をまいた海苔巻きを恵方に向かって食べる風習が、昭和40年代後半の大阪で一般化したものだそうです」(小澤富夫(元玉川学園女子短期大学教授):江戸学事始、江戸学担当講師)

 ほお。この『昭和40年代後半の大阪で一般化したもの』ってのが、私が北海道で見た『のり巻き丸かぶり』のポスターと同じ頃です。これは興味深い。

 で、もちょっと調べるとこんな文を見つけた。

 大正の初め、大阪花街でお新香の漬けかかる節分の時期にお新香を巻いた海苔巻を恵方に向かって食べるという風習がありました。(「恵方と寿司屋」より)

 そう言えば、海苔ってのも冬に採る海草だったよな……。これも調べて……。

 海苔は11月頃から摘み取りが始まり、3月中旬(ごく一部の産地では4月中旬)まで続きます。11月頃、各産地で一番最初に摘み採られた海苔は「新海苔」と呼ばれ、やわらかく、香り高い風味が特徴です。(海苔の基礎口座)

 ふんふん、なるほど。何となく見えてきたぞ……。節分の頃、漬かったばかりのお新香を新のりで巻いて食べるってのが、大阪花街のお楽しみだったってコトでしょうか。江戸時代から続いていたのか、それとも大正に入ってからのことなのか調べ切れませんが、ちょいと想像を働かせてみましょうか。では池波正太郎風で……。

 

 

 

 

 おたまの腹が、小さな音を立てた。

 

 夕方も近いという時間なのに、座敷が続いて満足にお昼をする時間もなかったのだ。客は人好きのする旦那ではあるが、おたまの腹の具合までは判ろうはずもない。

 旦那が厠に立ったところで、おたまはこの時とばかりに台所に走り、居合わせた小僧に頼んでのり巻きを作らせた。と言っても、簀の子で巻くような手間などかけられるはずもない。旦那が厠から出てきたら、手水を差し出さねばならないのだ。

「それそれ、新香だけでいいから。早う早う」

 おたまの焦りが小僧の手元をあぶなっかしくさせる。

「ああもう、お貸し」

 しゃもじを引ったくるようにして素早く「のり」で飯と新香を包み、ひと口囓り取りながら、かなり慌てて廊下を小走りに戻った。

 厠の扉が見えたところで、それが開くのが目に入った。おたまは慌てて口の中のものを飲み下し。残りを袂に隠した。

 何事もなかったかのように、旦那の手を柄杓の水で清め、手ぬぐいを差し出した。そのとき、どうした加減か、袂から食べかけののり巻きが「ぼとり」と板の上に落ちてしまった。

 旦那は怪訝そうにそれを見下ろし、次いでおたまを見やった。おたま、もはや顔が真っ赤に染まっている。

「これは……」

「これは……。これは、願掛けでおます」

 とっさに思いつきが口を滑って出た。

「節分に……。あの、長いまんまののり巻きを。願掛けて食べますと、願いが叶う言われとります」

「ほお?。そらまたけったいな願掛けやのぉ」

「願掛け言うても、花街の中だけですさかい、誰も知らはりません」

「おたまは、何願かけたんや?」

「そらもちろん。段さんが、この先ずっと来てくれますように」

「ほうそうか?、ほな私もあやからせてもらおうか。私にもひとつ作っておくれ」

「はいはい。ほなお部屋に戻りましょ」

 

 

 後日、この『長いのり巻き』が旦那衆の中に口づてで広まって行き。ついには大阪商人の願掛け行事となってしまうのだが、それはおたまのあずかり知らぬことである。(※大阪弁はデタラメです)

 

 

 

 それで……。

 

 

 

「おお。新香に、新海苔かいな……。こら悪くないわ」

 旦那と差し向かいで食べようとしたものの、照れ隠しの出まかせをすっかり信用して長いままの「のり巻き」をくわえている旦那の姿がどうにも可笑しくてたまらない。

「あの……、旦那……」

 笑いをこらえておたまが言った。

「それは、あっちの方を向いて食べなあきまへん」

「何でや?」

 笑ってしまいそうなので、何とか背を向けさせたいところなのだ。

「願かけるには、あっちが『ええ方』ですさかいに……」

「なるほど。こっちが『ええ方』か……」

 

  後日、この『長いのり巻き』が旦那衆の間で『ええ方巻き』と呼ばれ、ついには『恵方巻き』と呼ばれるに至ることは、おたまのあずかり知らぬことである。(※大阪弁はデタラメであることをお断りいたします)

 

 

 恵方巻きの起源について、大阪船場の商人が始めたってのと同じくらい登場するのが“大阪海苔問屋協同組合が作製したポスターを寿司屋が共同で店頭に貼り出し、海苔を使用する巻き寿司販促キャンペーンとして広められた”ってエピソード。

 海苔問屋の陰謀って説ですが、これは私が経験した『丸かぶり』の時期ですから、この時点で発明されたワケではない。

 さて。この大正時代には見られていた『尺八食い』なる風習、一度廃れてしまうわけですが。オールアバウトでは1932年に大阪鮓商組合が「節分の日に丸かぶり」ってキャンペーンを打ったと記されております。

 

 ふむ……。1932年と言えば満州国が建国され、世界がいよいよきな臭くなってきた頃でございます。

 それで、この頃になってまたのり巻きが引っ張り出されるってのは、『尺八食い』が完全に廃れきってはいなかった証拠だと思ったりするのですな。日中戦争へと続く満州事変のまっただ中、関東軍はハルビン攻略中です。この時期、すでに陸軍の偵察機やら小型の爆撃機なんかが飛んでおりまして。

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 こんなモノ(三菱重工業製九二式偵察機)でしたけどね、翼の上に載っているのは機関銃じゃなくてたぶんガンカメラ。これでも敵地奥深くまで行って写真撮ってくるから何時間も飛んだりする。当然航空弁当を持たされています。

 これが太平洋戦争まで変わらず『のり巻き』だったのですな。やれやれ、やっとここまでたどり着いたぞ。しかし、航空弁当のこと書きたくてこれだけダラダラ書いていたのか?

 歩兵はカチカチになった飯やカンパン食べていましたが、航空兵はそれに比べりゃはるかに良いモノ食べてました。損耗率高いから。それに、飛行手袋してたらカンパンなんて食べられないし。

 航空兵が、飛行機空輸の空き時間を利用して花街に遊びにやってくる。大阪には昔、軍用の飛行場が2カ所もありました。たぶんひとつは現在の伊丹なんだろな。

 軍の飛行場に納入された飛行機を博多まで飛ばして、そこから船に乗って上海へ。そのまんま戦地へ飛ぶなんてパイロットがいたのかも知れません。ところで私のグーグルアース、何で大戦中の米軍潜水艦の戦没地点が出るんだ? 登録した覚えがないのだが……。どうせなら伊号とか呂号の戦没地点も出してくれ。

 

で、また。空想のり巻き小説。今日は誰風だかわからない。

 

 

 時代は過ぎても花街の風情は変わらない。強いて言えば、ランプや行灯が電灯に替わった程度だろうか。それですら、消して床に入ってしまえば昔とまったく変わりはしない。

 お多栄は酒を運び、小柄ながらも逞しい軍人に酌をした。

「軍人さん。これから中国いかはりますの?」

「明日、ここの飛行場を立って、博多まで飛ぶのさ。そこからは船だ」

「あれまあ。ずっと中国まで飛ぶんやおまへんの?」

 軍人は笑った。笑顔が、まだどことなく子供っぽさを感じさせる。

「対馬あたりまでは飛べるかも知らんが、海の上では方向が判らん。それに、海に降りちまったら俺は泳げん」

 軍人は杯を干し、お多恵に手渡した。

「もう、行かはしましたの? 中国」

「先週、帰ってきたばかりさ」

 お多恵は注がれた杯を少し掲げて、唇をつけた。

「広いんだ。ものすごく広い。何時間飛んでも地平線ばかりなんだよ」

 軍人の眼が、障子窓を通して、はるか遠くを見やった。

「ずーっと飛んでると。戦争やってることを忘れて。俺と飛行士とふたり、ただあてもなく旅をしているような気がしてくるんだ」

 一瞬その眼に惹きこまれそうになって、お多恵は慌てて杯を干し、軍人の手に返した。

「そないに、何もあらしまへんの?」

「敵はいるさ。かならずどこかにね。うっかりしているとクリークの陰に隠れてた兵隊が一斉に撃ってきたりする。だからね……」

 軍人は注がれた酒を一口のみ、照れたような笑顔を浮かべた。

「飛行士とふたり、航空弁当を半分残しておくのさ。長いまんまの、のり巻きをね。帰りに食べるのだから絶対墜落したりしないぞってね……」

 

 

 翌朝、その軍人を見送ると。お多恵は台所に頼んで、長いままの『のり巻き』を作ってもらった。部屋で正座し、飛行場の方を向いてそれを一口かじった。

(ご無事で、またお帰りなはれ……)

 ってな具合に。江戸で産まれたモノながら、大阪花街の中で様々な想いと共に連綿と受け継がれてきたのが『のり巻き丸かぶり』だってことにしておくのが、風情があって良いのではないかと思うのですが。

 これ叩き直して小説一本書けるな……。

「コンビニが宣伝してるから」って食べるのではあまりにも主体性ってモノがございませんでしょ? 念のために言っておきますが、恵方巻きにはダイエット効果はありませんよ。

2011年8月16日 (火)

イクベヨイヒト

 この時期。毎年のことではありますが、ニオイ屋が一番忙しい季節です。毎年のことなので、もはや文句言うことでもありませんけど。でもコミケにすら行けないって状態は始めてだぞ。

0  で、忙しいけど無理矢理時間を作って知識欲を満たすために群馬県は高崎まで出向きます。何か駅にヒトが多いと思ったら、暑苦しいところにもっと暑苦しい蒸気式線路動力機関車がいます。その昔は『動力車労働組合』って、スト起こされると学生にはとっても迷惑なようなありがたいような存在をもって知られておりました。

1  出発風景です。SLですから盛大にNoxとSoxと粉塵を吹き上げております。頑張れC61。ところで客車のクーラー用の電力ってどーやって供給してるんだ? 最後尾にやっぱカニさんがくっついてるのか?

2  え~、それで。私は『群馬の森』の県立歴史博物館に入り込んで、勝手に時代をさかのぼっております。幕末明治の群馬の歴史にウソを盛り込もうとしてります。

 これは利根川や烏川で通運を行っていた高瀬舟。

 『高瀬舟』と言いますと、森鴎外の小説を思い浮かべる方が多いとは思います。私もこんな大型の高瀬舟は知らなかった。だって板東に高瀬川ってないし。

 京の高瀬川を使った水運があまりにも名が通ってしまったので、輸送用川船が全部高瀬舟って呼ばれるようになったのかな?

 しかしそれにしても。京の高瀬舟と比べると、軽トラと4トン半トラックぐらい積載量が違うんですけど。これでも呼び名はやっぱ一緒ですか? まあおかげで伏見から倉賀野まで、江戸時代でも結構な重量物を運送する手立てがあったってことは発見だった。

3  大型高瀬舟だけではなく、群馬は必要な機器を自力で作ってしまう才覚があるらしい。この『テルピス号』そこらの鉄工所であり合わせの資材で何となく作っちゃったような風情です。

 しかしこの『デルピス号』ジャンク的メカながら3×3パワートレイン&二次ミッション(走行用ミッションと別にウインチとかのミッションが最初から装備されている)+普通なら邪魔にしか鳴らない超ロングホイルベースって、限られた場所での使われ方をとことん追求した、これはこれで超機能美な機械です。

 頑丈な背あてが、どんな急斜面をどれだけ登っていくのかを雄弁に物語っております。この機械だけ一日見ていて飽きないぞ。

 発明者である社長さんが亡くなられて、会社は自然消滅となってしまったそうですが。これだけの多機能ユニットを実用に供することはかなり困難なことです。惜しい。

 イタリアあたりが逆の良い例で、『アイデアは素晴らしいのだが実用性がない』って駄作機械がゴロゴロあったりして。確かモトグッチかどこかで同じ3輪駆動トラクターで「垂直の壁だって登れるジョルノ!」ってデモをやっていた写真を見た記憶があるのだが。何で実用にならなかったかって言うと、「設計者の夢は操縦者の悪夢」なんだな、これが。

 考えてみたら結構理解できることで。3輪駆動を有効に使うためには3輪全てに等しく加重をかけなくてはならないんだな。つーとどう考えたって駆動輪2の推す力を、ドライバーは可動輪1でもってコントロールしなくちゃいけないんだ。しかも加速中とか減速中の重心移動によるトリムやら何やらも全部自分で面倒見て……。デルピス号「は山を登って大荷物積んで下ってくる」ことを考えて設計したから破綻しなかったんだな。きっと。

 ドイツで作った『ケッテンクラート』トラクターなんか、キャタピラユニットにバイクの首が付いたゲテモノだったけど。あのハンドルはドライバーが手を添えるためのもので、操縦はペダルでやっていたんだな。確か。

 つーことは。このデルピス号、やはり数少ない3RADトラクターの成功例なんだな。しかも牽引だけじゃなくて汎用で。

4  デルピス号の横にあった、また懐かしいジュースの自販機。ジュースの噴水にどれだけの子供が興奮したことか。これはディズニーの『ジュースの王様』とシンクロしてるよな。絶対。

 デルピス号のライトの角度、人がよーやっと上り下りできるような山道を、大量の荷を積んで登り降りするためのセッティングです。誰にも知られず一生懸命働いて、やっぱり誰にも知られず消えていった機械です……。

2011年8月 2日 (火)

線路専用の線路

 新砂にあります東京都の環境科学研究所に来ております。何年ぶりだろ?

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 その昔、においの測定機材メーカーに勤めていた頃には年に何度か顔つなぎで顔を出しておりました。今日はちょいと資料室へ、ごみと大気汚染に関する調査データを閲覧させてもらいに来ました。

Dscf0466_2 これがまた、可動書棚をゴロゴロ動かして見て行かなくちゃなりませんので時間がかかるんだな。で、あっという間にお昼になる。お昼休み中は一旦閉館になるので追い出されてしまいます。

 仕方ないから東陽町の方までメシ食いに出て時間をつぶす。……ところで以前からこの線路が気になっていたのだが。

Dscf0469_2  おお。何と言う偶然! 遮断機が降りたではありませんか。って言うか、もう向こうにディーゼル機関車見えてるし。

Dscf0475_2  DE10です。前照灯と赤灯が両方点いているってことは、前行ったり後ろ行ったりするんだな。入れ換え用機関車だからそうに違いない。

Dscf0477_2  レール輸送用『チキ』です。……ってことは、この線路は塩浜のJR東日本資材センターに繋がっていたんだな。

Dscf0480_2  それは良いのだが、踏切で停まってしまいました。この先永代通りを横切るので、安全確認しているんだな。

Dscf0483_2  追いかけて飛び乗りたい衝動と戦っております。それができそうなほど遅いです。

Dscf0485  この先葛西橋通りやら、新大橋通りを横切って。最終的に亀戸駅で総武線に繋がります。亀戸駅の横にある電化されていない高架線ってこれだったんだ。

 さて……。また資料との格闘を続けなくては。

2011年7月 8日 (金)

幇間サンパブロ

 最近、カフェインをこれで採っております。暑くてコーヒーメーカーを使いたくありません。無印の水出しコーヒーも良いのですが、抽出に8時間かかるんだよな……。

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 え~それで……。今日もここに来ております臭気判定士。

Q2 ここは『築地川』でして、川と言っても埋め立てられて辛うじて残った元海面です。

Q5 あっちの突き当たりは隅田川、向こう岸は月島です。左岸は築地市場の専用道路になっておりまして、フェンスがあって川には近寄ることができません。

Q3  川面に接近するためには築地側を渡りまして浜離宮庭園側からアプローチするしかありません。調査のためならどんな困難な場所にも踏み込みます。

Q4 有料ってのが困難レベル高いです。入園料300円。これ経費で認めてもらえるのかな?

Q6 ここは築地川と内堀を繋ぐ水路。特に問題はないニオイです。

Q7  ずーっと築地川に沿った園路を隅田川の方向に行きますと、水上バスの乗り場があります。隅田川遊覧コースで浅草とお台場の途中になります。折良く水上バスが出発するところ。

Q8  アスタン(後進)で隅田川まで戻ります。

Q9  この辺水深どれくらいあるんだ? 東京の水上バスって東京湾も走るから、これでも川船になるのかね?

 大阪のは完全川船で吃水80センチしかないんだよな。ほとんど板の上に機器と船体が載っているようなもんだ。昔の揚子江河川砲艦なんてそんな上に大砲まで積んでいたんだから凄い。映画の“砲艦サンパブロ”なんて、あんな背が高くて良くひっくり返らないもんだ。

Q10  ここで切り返し。スラスターでもって思い切り川底をかまかして(かき混ぜて)ください。

Q11  結構ゲート巾ぎりぎりです。しかしあんまニオイ立たなかったな……。

Q12  隅田川の水深は現在3.7m……。37メートルじゃないよな。

 う~ん。川底のヘドロって可能性は薄くなった。とすると、アレか……。

2011年1月 6日 (木)

歌舞伎御免では済まないぞ

 昨日は私も世間並みに挨拶回り……、ではなくいきなり打ち合わせが3件。うち1件は管理組合の用事でしたけど。何となく繁盛しているような気もしなくはありません。

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 全部終わらせてから、帰りがけに歌舞伎町の花園さんにご挨拶。

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 手水の柄杓に紐がついていて使いにくいです。持って行ってしまう不届き者が後を絶たないのでしょうか。

 ここは結構強力な稲荷さんだぞ、そんな奴は祟られてしまえ。

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 私が参拝を終えたら、もう夕方近いのにこの行列。仕事を終えてからやって来るのでしょうか。

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 摂社の威徳稲荷。これもなかなかパワーがあります。祠の上覆、額の後ろに結構なモノが奉納されておりますが。気付かないで拝んでいる人も多いのではないかな?

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 いつもはゴールデン街側に抜けるのですが、今回はこちらの参道から帰ります。「ある物」がこっちにありますので。6

 これですな。やはり由来からするとこの名が正しい。ここは吉野山にある『導稲荷神社』からの分霊ですから。

 その昔。後醍醐天皇が都を追われて吉野に落ちるとき、伏見稲荷の近くで日が落ちて真っ暗になったので、列が立ち往生してしまったそうです。

 後醍醐天皇が「夜道で行き迷っているので灯りを三つお貸し願えませんでしょうか」と歌を詠んで伏見稲荷を拝んだら。あら不思議、稲荷山の三峰から光が飛び出して吉野の金峰山まで誘導してくれたそうです。

 その光を祀ったのが導稲荷神社です。だから花園神社に無礼を働くとダイレクトに伏見稲荷のお山に祟られちゃいます。怖え〜。

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 この、あちこちで見る、字をいろいろ埋めちゃったりしている部分も興味深い。そう言えば宝物の三光石ってどうなったんだ?

2011年1月 1日 (土)

年中行事な一日

   fuji皆様あけましておめでとうございますfuji

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 ウチでは朝の新年挨拶が済んだらもう「通常運行」なモノで、だから相変わらず朝食もこんなです。昼酒が嫌いなのでお屠蘇もありませんし、お雑煮もおせちもありません。

 で、昨日の国際展示場駅でございます。

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 10時半の状態ですが、空いています。

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 会場へ向かう途中も、こんなに閑散としています。やはり不景気がここにも影を落としているのでしょうか。

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 まあ会場内はそれなりに混雑しているのですが。

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 ちなみにこんな。

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 開場前の外はこう。(上2枚の写真:ニュー速VIPブログより

 今回の参加者延べ52万人だったそうです。去年の冬より1万人増えてる。

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 『鉄』ジャンルに突入。またこれを買ってしまった。2010年12月バージョンらしい。

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 車両のトイレばっかし調べた本。現在は西日本に行ってしまった500系新幹線に乗る機会があったら、時速300km走行時に是非「大」のトイレを使用するべきだそうです。気圧差で吸い出し効果が体験できるとか。……ホントか?

 新型のスカイライナーでは男性用にイタリア製便器が搭載されているらしい。日本製のはデザイン的に重たくスリム感に欠けるからだそうです。

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 トラクター・耕運機本は完売。

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 12時半に撤収。外には簡易トイレを満載したトラックの列。10台以上いました。

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 しかしそれでも全然足りていなかったらしい↑。

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 大晦日の恒例となってしまいました。浅草橋ガード下『更科』でお昼。ついでに夕食用のおみやげ用3人前を買っていきます。

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 かきあげそば680円。この汁がんまいこと……。しかし浅草橋の問屋が減ってしまったことと、牛丼立ち食い蕎麦屋など安い店が増えたために、今年は客足がかなり減ったそうです。

 こちらは店が狭いためにスタイルとしては立ち食いになるため、価格の点でかなり厳しい注文を付けられるらしい。1杯250円とかの味は二の次メシと比べる方が間違っているのですが……。

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 経営が厳しかったのかどうか知りませんが、駅近くのマックが閉店していました。う〜む。

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 コンビニでは「恵方巻き」の予約受付が始まったそうですが、浅草橋はさらに早くも鯉のぼり。

2010年12月22日 (水)

山のアナたの…

 手間と時間を取られる用件が多くて、頭の中がワヤになっております。まあいつものことですけど……。

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 で、いつものように気分転換と運動不足解消のために、打ち合わせなどのついでに寄道します。上野を公園口から出てお山に向かいます。

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 花見の頃に山を抜けて池之端のマンションを見てから池を一周しましたが、今回はその時行きそこなったところへ。人が多すぎて入れなかったんだな。

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 看板の「現在地」の真後ろ。花園稲荷神社です。

 新宿総鎮守の花園神社も昔は「花園稲荷神社」だったそうですが。明治時代に神名帳を提出する時に「花園」を書き忘れてしまい、しばらく「稲荷神社」だったそうです。その後ようやく花園稲荷に戻して、今度は摂社を合祀した時に「稲荷」を取ってしまいました。ややこしい。

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 こちらの参道からは下りになります。本殿がふもとにあるから。

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 正面の参道から。狭いです、見通し悪いです。

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 もう一段下には五條天神社があります。そこから見上げてもやっぱり見通しが悪い。とにかく狭苦しい。

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 注意の貼り紙も、こんなだと何となく和みます。

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 これまた狭い授与所です。お灯明のローソクは手動販売機です、ここのお狐何かかわいいぞ。

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 本殿に詣でたら、次が本命。この参道わきの建物の隙間です。

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 ムチャクチャ暗いところに入って行きます。こうして見ると何かテーマパークみたいです。フラッシュ撮影は失礼なので、高感度で撮らないといけません。

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 この右手の穴が『穴稲荷』。さっきのろうそくを5本ばかりお供えしております。正面にある祠はどこかから引っ越してきたものらしいです。

 天海僧正が寛永時を建てた折に、お山の狐が棲家を追われてしまったことを憐れんで掘ってやったそうですが。……これ絶対古墳の石室だろ。古墳稲荷だ。

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 お窟の上には祠があります。やっぱ古墳だ。

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 さっきの参道横、藪の中にあの祠が隠れています。お参りしたいけどフェンスがあって入れません。

 上野のお山は、寛永寺の建立と幕末の戦争などでかなり形が変わってしまいましたが、どうも元は古墳が点在する墓山だったようです。擂鉢山古墳ってのが現存していますし、見る人が見ればそれとわかる痕跡があちこちに残っているらしい

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 だいたい元の地名が『忍岡』で、まだその地名は残っています。あ、営団地下鉄さん親切に矢印までつけてくれてどうも。穴稲荷も昔は忍岡稲荷と呼ばれていたくらいですから。

 古墳が点在していたくらいですから、忍岡は『偲ぶ岡』だったのではないかと。そう言えば根津神社の乙女稲荷も穴だったな。ちょっと見て行こう。

2010年12月18日 (土)

坂の下の苦悶

 昨日は、お茶の水まで仕事の書類を受け取りに行って。そのまま坂を下りました。

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 坂の下は神保町です。古本屋がスキー屋に駆逐されるかもしれないと10年ほど前に心配しておりましたが。スキー屋がスノボ屋に変化したためか、駿河台下から西側はあまり変化がないようです。

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 で、私はお店の一番奥やら地下の、特にホコリくさいコーナーにばかり潜り込んでおります。ある本を探しているのだが、これが全然見つからないんだな。

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 ほとんど『そっち関係』を全店覗いても発見できませんでした。

 収穫はこれだけ。国立市教育委員会発行。元々販売している本じゃないと思うのだが3千円もしました。

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 帰りは神保町交差点からまた小さな古本屋を覗きながら北上。三崎稲荷神社。

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 水道橋駅の宝くじ売り場。窓口に何か来てます。

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 江戸のスズメが米食ってチュン。

 しまった。良い光景見たから、ここで年末ジャンボ買っておけばよかったな。

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2010年12月14日 (火)

アルバイトの巫女は「助勤」と呼びます

 面倒なにおい案件の問い合わせが立て続けに入ってきて、仕様を考えるのと見積が非常にやっかいです。

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 そんな中ではありますが……。ビッグサイトでちゃむり売ってたりもしましたが。また國學院大學に来ていたりします。

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 大学の“伝統文化リサーチセンター資料館”で開かれている企画展『やしろとまつり』に伴って開催されるフォーラム『社殿は何を伝えるか』を聴講しに来ました。

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 学食を試してみようと思って来たのですが、丁度昼休みで満員でした。結局また昼抜きになってしまいましたが、発表が面白くて空腹を忘れました。

 それより気になったのが。この神道文化学部の学生向け年末年始助勤(神社のアルバイト職員)向け説明会。『鶴岡八幡宮』と『伏見稲荷大社』でもって席のほぼ半分。他は『それ以外』です。募集枠の数がこうも違うってことなんだな。これは面白いモノを見た。

 写真を撮っている時に職員が出て来ましたが、明らかに『関係者』だと思われたようです。何も言われなかった。

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 合間に仕事してます。

 『建築学的に社殿を見ると。ひとつとして同じモノがないように見える神社、非常に複雑な構造の社殿でもある法則で建てられていることがわかる。また神様と祭員(神職)の関係が変化してきたこともわかる』ってのは思わず聴き入りました。

 フォーラムの参加者は4〜50人と、席は結構埋まっていました。若い女性も目立ちましたがほぼ全員髪が長かった、巫女さんか?

 『社殿の分布と文化財指定』って、文化庁のデータベースを分類し直した地味〜な研究も、ちょっと聴いて得したぞ。余計なお世話だが、ここのポスドク研究員ってどうやって食って行ってるんだろ?

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 企画展示は1月14日までです。しかしこの資料館の収蔵品量は凄い。時間がなかったから今度また来よう。

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2010年12月13日 (月)

DREAM CHAM TRUE

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 日曜ですが、早起きしてビッグサイトに向かっております。でもコミケじゃありません。コミケだと人で地面が見えません。

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 ドールイベントに紛れ込んで、ちゃむりを販売しに来たんだな。いつもなら家から20ぴきほど担いで行くのですが、今回は時間がなかったので会場に直送して貰いました。みっちり。

B25

 ちゃむり番号付けて並びます。今日は372号から391号まで。……の予定でしたが、ここに並んだ20ぴきは開場30分もしないうちに『ごしゅぢん様』に引き取られて行ってしまいました。

B3

 その後、「10ぴき追加」「5ひき追加」と逐次投入を行いましたが、お客さんは切れず。

B4

 とうとう閉会の2時間も前に50ぴき全部売れてしまいました。銀座博品館だって1年かかってもこんなには売れないだろ。でもこれだけ売っても完全な赤字です、利益なんかありません。ちゃむり増やして遊んでいるだけです。

 ビッグサイト東の4ホールでは『DREAM-MATCH LIVE』ってコンサートか何かのようなイベントが行われていましたが、お客はスーツを着た若い男女ばっかでした。何かと思ったら中小企業の合同就職説明会だったんだな。

 『中小企業およそ110社がブースを設け、来年春に卒業見込みの大学生や短大生、既卒者ら2000人余りが参加』したそうだけど、ビッグサイトのホールひとつに1日かけて2000人じゃ、スカスカの状態だっただろうな。超就職難でも、中小企業に行く学生はいないってことなのか。

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